http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/omake/diary.html - Feb 9, 2012 9:22:11 AM - Dec 2, 2004 6:09:07 PM
- 平成二十四年二月七日
- 【山田祥平のRe:config.sys】 パソコンは独り占めが当たり前
- 平成二十四年二月四日
- うちのサイトのコンテンツは全て現役。どんなに更新が止まつてゐても、突然新記事が追加され、更新が再開される可能性がある。
- 櫻花さん番外地の更新が珍しい事は有名。
- 平成二十四年二月四日
- 【やじうまWatch】 Flashアニメの一時代を築いた「やわらか戦車」が更新終了、ページも閉鎖へ ほか -INTERNET Watch
- 商業だと、クリエイター一人の意嚮で何うにかなるといつたものではないから、終了させられる事はある。
- 平成二十四年二月三日
- お知らせ - eclucifer blog
2月半ばにすべてのコンテンツを撤去します。
- また「自分の過去を全否定する事で私は先に進める」信者が自分のサイトを潰さうとしてゐる。なんで「そのままそつとしておく」事が出來ないのだらう。
- 過去の實績は既に「ある」のであり、未來の事は全て希望でしか「ない」のであるが、日本人はひたすら「未來」に縋らうとする。
- 未來に必ず實績が築けるのなら結構な話だが、その爲に「過去を否定する」と云ふのは、因果關係が不明であるし、最終的な實績の量が減るだけであり、メリットがあるとは思はれない。「サイトのコンテンツを消して未来に向かって進んでいく」なんて言ふのは、自己滿足以外の何物でもない。個人的には全く感心しないし推奬もしない。
- 平成二十四年二月三日
- 私には「コンテンツを管理する」義務がある――その「管理」が重荷になつた・やる気がなくなつた……さう言つて、恰も自分に「コンテンツを消す」義務があるかのやうに言ふ人が、異樣なまでに多い。けれども、「コンテンツを管理する」事が出來なくなつたのなら、「コンテンツを管理しない」やうにするだけで濟む話だ。なんでいちいち「コンテンツを消す」のだらう。私にはそれが理解出來ない。そもそも「管理できなくなりました」等と宣言する事それ自體、意味がない。ただ、そつとしておけばそれでいい話だ。自意識過剩の人が多過ぎる。
- 先日、TBSが「水戸黄門」の「シリーズ終了」を大々的に發表し、スペシャルを放映した。これはただ「シリーズ終了」を謳つて注目を集め、視聽率を稼がうとしただけでしかない。視聽率不振のTV番組が注目を集める爲に「終る」「終る」と言ふのは仕方が無い。
- 昔「闇黒日記」が「終る」と言つたのは「義」や喜六郎らのアンチに據る嫌がらせに抗議する意圖があり、注目を集める目的があつた。しかし、何の問題もない、普通にやつてゐる個人のウェブサイトで、制作者が、宣傳以外の目的で「終る」「終る」と言ふのだ。これは一體何なのだらう。私には全く理解出來ない。(もし外的な理由があつたのであれば、それは言ふべきである。案外世間の人は親切である。一度消えた「闇黒日記」が復活したのも人々の親切の御蔭である)
- 「コンテンツを消す」事で、何んな影響があるかと言へば、閲覽者をがつかりさせる結果になる、と云ふ事くらゐしかない。サイト制作者は「閲覽者をがつかりさせる事によつて、私はこれからの活動が出來る樣になります」と言つてゐるわけだが、これは本當に何なのだらう。閲覽者をがつかりさせた結果として閲覽者を喜ばせられるやうになる、と、何で思ひ込めるのだらう。本當に理解を超えてゐる。
- TBSの「水戸黄門」も、別に「シリーズ終了」を謳ふ事もないのであつて、ただ休止してしまへばそれで良かつた筈だ。さうすれば、何時でもしれつと復活出來るのだから。「シリーズ終了」を宣言してしまつたばつかりに、最早「水戸黄門」は容易に復活出來ないコンテンツと化してしまつた。日本人はこの手の「背水の陣」的な「革命」行爲を好むが、大概にしてほしい。
- 平成二十四年二月二日
- 農業書協会会員11社
- 平成二十四年二月一日
- gdgd妖精s | 番組 | AT-X ワンランク上のアニメ専門チャンネル
- 平成二十四年一月三十一日
- OC.exe (Web Version)
「新字新仮名」を「正字正假名」に変換します。- 平成二十四年一月三十一日
- 社団法人 国民文化研究会 全国学生青年合宿教室
- 月刊誌「国民同胞」のバックナンバをオンラインで公開。
- 平成二十四年一月三十一日
- 国文学研究資料館
- 別の国文研。
- 平成二十四年一月三十日
- 山本健吉『現代文學覺え書』「『楢山節考』について」
私はさいきん魯迅の作品論を書くために讀み返したので、いま連想したのだが、日本の他の作家においてでなく、まさに深澤氏の『楢山節考』において、その連想の適切なことを思うのである。阿Qは魯迅が創り出した人物であるが、それは特定の個人に與えられた名ではなく、彼が中國の國民性に思いをこらした結晶として創り出された、典型的な人物なのだ。阿Qは中國のどこにでも居り、魯迅自身の中にもいるはずである。だがそれは、魯迅が終生の目標とした、中國の國民性の改造の、その可能性をも含むところの人物である。それは愚昧な民衆の一人に違いないが、魯迅はその中にすら、革命にも反革命にも轉化しうるところの一つの因子を認めた。つまり、その可能性のゆえに阿Qに絶望しなかつたのである。國民と言い、歴史と言い、阿Qと言い、彼にとつて別の名前ではないような地點で、その人物像は創り出されているのだ。
- 山本氏は、
日本の小説では、小説的な美がいつのまにか美談にすりかえられていることが多い。等々、多くの興味深い指摘をしてゐる。『古典と現代文學』とともに『現代文學覺え書』は山本氏の初期の代表作で、T.S.エリオットからの直接の影響を受け、その理論を日本の藝術に適用して、山本氏は樣々な指摘を行つてゐる。山本氏は現代の俳句の世界に大きな影響を與へてゐるが、その思想の根柢にT.S.エリオットやT.E.ヒュームの發想がある事は記憶されてゐて良い。
- 平成二十四年一月二十三日
- 窓の杜 - 【NEWS】「Google Chrome」安定版v16.0.912.77が公開、深刻度“High”の脆弱性を4件修正
- 平成二十四年一月二十三日
- Opera 11.61 リリース。
- Twitter / @opera_jp: お待たせしました。Opera 11.61 リリースの ...
- Opera Changelogs